はじめに
600年代中葉に上ッ道・中ッ道・下ッ道の三道が官道として設けられた。
物部(もののべ)氏・・葛城(かつらぎ)氏・平群(へぐり)氏、そして渡来人である蘇我氏等の多くの豪族や,
聖徳太子・額田女王(ぬかたのひめみこ)・柿本人麻呂などが通った道。
明治の初期まで使われていたので、平安初期の紫式部や清少納言なども多分ここを通って長谷寺や室生寺へ通ったのではと想像される。
今回は天理から桜井まで(約半分)16キロのハイキングコースについて少しだけご案内したい。柿の木や蜜柑の木が沢山あるが、
その下の丘はほとんど大・小の古墳群である。
案内図
案内図 | 位置 番号 |
探索場所 | 山辺の道 |
1 | 石上神社 | ![]() |
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2 | 柿本人麻呂碑 | ||
3 | 景行天皇陵 | ||
4 | 崇神天皇陵 | ||
5 | 三輪山 | ||
6 | 檜原神社 | ||
7 | 箸墓古墳 | ||
8 | 大神神社 | 檜原神社の手前の山の辺の道 |
探索箇所
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石上神宮 (物部氏の氏神) 古代の武器庫と言われている。七支刀(ななつさやの刀)が出土したことでも有名である。 韓半島から仏教が伝来したとき、物部氏は、それを広めることに激しく抵抗した。 「大和は神の国」であると。蘇我氏と争った結果、物部氏は敗退した。 境内では神鶏として「ニワトリ」を飼育している。 入口の大杉は神杉として崇められている。 |
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柿本人麻呂 歌碑 書 犬養 孝 衾路を 引手の山に 妹置きて 山路をゆけば 生けるともな 最愛の妻を亡くした人麻呂の嘆き悲しむ哀悼歌 人麻呂は宮廷詩人として可なり高い位についていたと考えられている。 哲学者で古代史にも詳しい梅原猛氏は人麻呂は刑死したという説を唱えているが……。 このあたりの柿の木や蜜柑畑の丘はほとんどが中・小の古墳である。 またほかにもいたるところに著名な方達の書の歌碑がある。 |
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景行天皇陵 (第12代天皇) 大和武尊(やまとたけるのみこと)の父と言われている。 大和古墳群では最大規模の前方後円墳で全長300m。御陵の周りには数々の陪塚と呼ばれる従者を葬った墓も多い。 高く急な階段を上ると周濠が美しい。。 近代天皇陵を冠した御陵はほとんど無くなった。 確実なものは天武・持統陵だけと言われている。この陵景行陵も正式には「渋谷向山古墳」と言われている。 天皇と言うのも天武天皇からであり、それ以前は大君(おおきみ)と言われていた。天皇名もその時つけられたものである。 宮内庁の厳しい管理下にあり、天皇陵と決められると全く調査の対象にはならない。天皇陵を外れたものから, 例えば高松塚古墳のようなものから、貴重な品が偶然発見されるのが現実である。、 |
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崇神天皇陵「行燈山(あんどんやま)古墳」第10代天皇 (ハツクニシラススメラミコト)和名 この天皇から実在の「大王」(おおきみ)と言われている。4世紀後半の築造。全長242m、全国15位の大きさである。 宮内庁で管理する、天皇陵と名前の付いた古墳で、はっきりしているのは「天武・持統合葬陵」だけで、 他の全てが事実とは違うと言うのが古代史ではすでに常識である。教科書からも天皇名は除かれたそうです。崇神天皇はヤマトでは、 初めての大王と言われ、その前の天皇は、欠史8代と言い事実上、あとから架空の天皇名を入れたものとされている。 幼い時母に手を引かれ「紀元は2,600年」の歌を歌いながら、ピンクの小さい花柄の提灯を持って街を歩いた記憶が蘇る。 何しろ130年以上生存したとする天皇が何人もいるのだから。 |
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三輪山 (みわやま) 神奈備山(かんなびやま)山自体が神であると古代より崇められている。 多くの人が天理から歩き出すのは、いつも秀麗な三輪山を眺めながら歩けることであると思う。 なだらかなとても美しい山である。 |
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三輪山の巌座(いわくら) 入江泰吉氏の大和路巡礼より |
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檜原神社 (大神神社の摂社) 大神神社の摂社。三輪山に向かって三ッ鳥居が建っている。 崇神天皇が天照大神を祭ったと社とされている。天照大神が伊勢に移ったため、ここは元いせとも言われている。 此の地から、平野部を眺めれば素晴らしい景勝が眺められる。 10年位前には今のように囲いなどなく、壊れかけた「木のベンチ」が1個あり、静かで、私にとっては最も好きな場所の一つであったが、 4年位前に行ったら、白砂が敷き詰められ囲いが出来ていて、全体に綺麗になりちょっとがっかりした思いがある。 奈良全体がどんどん観光地化しているのはここに限らず、飛鳥も大きく変わってしまった。山野辺の道にも、 「トレイユ山野辺」等と言う素敵な休憩所などが出来たが、標識の向きが変わり、景行天皇陵・崇神天皇陵の前を通る道には、 標識どうりに歩くと出られなくなった。 |
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箸墓古墳 倭迹迹日百襲姫命の墓(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト) 三輪山の西麓にある、全長278mの前方後円墳。築造は3世紀。周囲に堀の一部が残っている。日本書紀によると、昼は人が作り、 夜は神が作り、墓の石材は二上山からリレー式で手渡しして運んだと言い伝えられている。三輪山の神、大物主神の妻とされている。 近年は長い年月、邪馬台国の在りかが論争されてきたが、九州説より大和説が有力になるにつれ、女王卑弥呼の墓ではと言われている。 |
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大神神社 (おおみわ神社) 三輪山を御神体としており、壮麗な拝殿の奥には三ツ鳥居がある。(神社の社務所に頼めば、神主が案内して見せてくれる)。 御神体の山の中には巌座(いわくら)や祭祀跡が沢山残っている。 山が御神体として有史以前より信仰の対象であったため、この近辺には祭祀跡が沢山残っている。伊勢神宮・出雲大社と並ぶ古社の一つである。 境内には樹齢700年と言われる巳の神杉がある。 境内に入る前に卵だけを売っている店があり、始めての時はわからなかったが、巳(へび)が卵が好きなため、杉の周りに沢山の卵がそなえられている。 |